日時:2021年5月30日( 日)9:30~12:30
見学場所:《台東デザイナーズビレッジ(旧小島小学校)》(1928年)、《NOEビル》(元倉眞琴、1989年)、≪SH-25≫(広瀬鎌二、1958/59年)、≪イードット本店(マザーハウス)≫(藤森照信、2019年)、≪清原 東京支店≫(村野藤吾、1967年)、≪コイズミライティングシアター/イズム≫(ピーター・アイゼンマン、1990年)、≪田島ビルディングス≫(マイケル・グレイブス、1994年)
参加者:13名
ナビゲーター:和田菜穂子
晴れ空の下、御徒町駅から秋葉原駅に向かって歩きました。
御徒町から歩いて30分。先ず向かったのは≪Taito Designers Village≫という、デザイン関連で起業を目指すデザイナーやクリエイターを支援する施設です。この施設は1928年(昭和3年)に建てられた旧小島小学校校舎をほぼそのまま再利用しています。円形の付け柱が等間隔に建物全体に並べられ、また裏へ回ると円柱の建物があり、円を基調としていることが明確にわかります。
次に≪NOEビル≫(元倉眞琴、1989年)に向かいました。この建築は槇文彦氏のもとで働いていた元倉眞琴氏が手掛けた建築です。コンクリート構造をガラス窓で覆っているのが特徴です。屋上部分に彫刻的な装飾があり、槇文彦設計の《スパイラルビル》との共通点が見られ、師の影響と思えます。また、この建物の近くにある≪TRANS CM.ビル≫(シーラカンス、1989年)というオフィスビルにも立ち寄りました。建物正面から見える階段や建物裏側の窓や壁などを見ると、ポストモダンの建物であることがわかります。
≪NOEビル≫を後にした私たちは、今回の建築ツアーの目玉の一つである≪SH-25≫(広瀬鎌二、1958/59年)を訪れました。「SH」とは「スチール・ハウス」の略称で、広瀬鎌二氏は戦後から70年代にかけ一連の鉄骨造の建築をつくり続けていました。最初の作品である≪SH-1≫の旬後年が1953年なので、この作品も割と初期の作品であることがわかりますね。一階部分が多国籍料理を提供するレストランと駐車場で、二階部分が住居となっています。
今回のツアーのもう一つの目玉が、この次に訪れた≪イードット本店(マザーハウス)≫(藤森照信、2019年)です。アメーバのような窓や白く枠取られた入り口、土壁のような温かみのある色が特徴的でした。外からお店を見ていたら、お店の人が出てきて、開店前でしたが特別に中を見させていただきました。店内の壁は漆喰のような清潔感のある白で、店内にある棚やハンガー、ハンガーラックなどはすべて手作りです。外からも中からも温かみを感じられる建物で、買い物が楽しくなるような感覚になりました。
その後、≪清原 東京支店≫(村野藤吾、1967年)、≪コイズミライティングシアター/イズム≫(ピーター・アイゼンマン、1990年)、≪田島ビルディングス≫(マイケル・グレイブス、1994年)を周りながら、秋葉原駅へ向かいました。≪清原 東京支店≫は少し脇道に入ったところにあり、知る人ぞ知る建築でした。外観は村野藤吾氏らしくないのですが、柱や扉の取手部分など、よくみると村野らしい表現になっていました。≪コイズミライティングシアター/イズム≫はガラス窓と白い壁面が特徴的な建物ですが、当初は白い部分に色がついておりカラフルだったという話を聞き驚きました。最後に訪れた≪田島ビルディングス≫は青と白を基調にした外観がとても素敵でした。ポストモダン建築が流行していた当初は他と比べると少し落ち着いたデザインだったようですが、現代においてはそのデザインは華やかに見えます。一際目立つ存在となっているように感じました。神田川からの眺めがおすすめです。
僕は今回初めて建築ツアーに参加しました。上記に挙げた建築から感じたことも大きかったのですが、その道中で何気ない建物に足を止め観察したという経験が今回のツアーでの一番の収穫であると感じました。自分の足で歩き建築を見ることの楽しさに改めて気づけたツアーでした。
学生インターン:太田涼介(慶應義塾大学文学部2年)