TOUR

【山手線ツアー】東京ー有楽町

2021.07.11
https://accesspoint.jp/reports/yamanote-tokyo-2/

日時:2021年7月11日( 日)9:30~12:30

見学場所:《東京駅》(辰野金吾、1914)、《日本工業倶楽部会館》、《東京海上日動ビル》(前川國男、1974)、《JPタワー》(三菱地所、2013)、《三菱一号館美術館》(三菱地所、2010)など

参加者:11名

ナビゲーター:和田菜穂子


梅雨真っ只中の七月上旬。しばらく雨の日が続く中で今回のツアーは幸運にも天候にも恵まれ、たくさんの建物を見ることが出来ました。

 

まず私たちが見学したのは集合場所でもある《東京駅》(辰野金吾、1914)です。辰野金吾は建築家として生涯3つの建物を設計することを夢見ていて、その3つが日本銀行、東京駅、国会議事堂でした。その中でも実際に実現したのは日本銀行、東京駅で今回のツアーでも他の作品にはない辰野の強い思いを感じ取れました。初めは丸の内北口のドームを見学しました。このドームは八角形になっていてこの形も辰野がよく他の建築にも使っていたデザインです。ドームの天井はバロック様式で西洋風かつ3連窓があることが特徴です。また、それぞれの角には丸い8つのレリーフがあり、その中には12支の動物がデザインされていました。12支なのに8体しかいなく、残りの4体はどうしたのだろうという話をしていると参加者の方が残りの4体は佐賀県の温泉にいると教えてくださりました。機会があればぜひ見に行きたいです。外観を見てみると赤煉瓦造りで白い帯状のラインが施されていて辰野式と呼ばれていて、イギリスのクイーン・アン式をモチーフにしています。

 

次に《日本工業倶楽部会館》の外観を見学しました。横川民輔が1920年に設計したものを一部保存再生した歴史を感じるビルです。この建物はセゼッション様式でアールヌーボー様式とは異なり装飾や曲線が少なく直線や幾何学的な形を特徴としています。ファサード上部には男性と女性の石像があり、男性はハンマーを、女性は糸巻きを持っています。これは明治時代の工業化を象徴するシンボルでハンマーは石炭業、糸巻きは紡績業を表現しています。

 

次は今回のツアーで密かに私が楽しみにしていた《東京海上日動ビル》(前川國男、1974)です。この建物は前川さんお馴染みの焼き物のタイルを用いた高層ビルです。もともと最初の案はツインタワーを構想していましたが皇居を上から見下ろすのは失礼ということで今のデザインに至りました。当時は100尺法という法律があり、約31m以上ある高さの建物を建ててはいけないという法律があり、その中で100m級のこのビルは一際目立ちかなり論争になったそうです。外観の面白い点としてはタイルを横に使うだけではなく縦にも使っていたり、床のタイルは他の前川建築でも見ないような珍しいタイルが使われているところです。以前のツアーで同じく前川建築のコンクリート打ちっぱなしの世田谷区役所を見学したのですがそれとは全く外観が異なる一方でディテールを見てみるとタイルの使い方に共通する点もありました。

 

次は商業施設KITTEが入った《JPタワー》(三菱地所、2013)です。これは《東京中央郵便局》(吉田鉄郎、1931)を改築した建物です。先程までのような建物とは打って変わって装飾のないシンプルなモダニズム建築です。吉田自身逓信省に在籍していた経験があり、東京中央郵便局以外にも様々な逓信建築に取り組みました。今は局舎の一部だけが保存されていて、それ以外の部分は商業施設として再生されています。内装は隈研吾が担当し隈らしい木を用いた壁が印象的でした。

 

東京駅から少し離れ、有楽町の方へ向かっていくと《三菱一号館美術館》(三菱地所、2010)があります。これは《三菱一号館》(ジョサイア・コンドル、曾禰達蔵、1884年)を復元して美術館にしたものです。曾禰達蔵はコンドルの弟子であり、辰野金吾と一期生の弟子です。辰野が官公庁向けの建物を設計していたのに対して曾禰達蔵は民間の三菱に勤務したので、民間の建物を多く設計していました。こちらも東京駅と同様、英国風のクイーン・アン様式で当時火災が多かったロンドンで焼けない街づくりを目指した結果、煉瓦が用いられました。私が在籍している《慶應義塾大学の旧図書館》も曾禰の設計で外観がそっくりだったことに驚きました。

 

東京−有楽町は他のエリアよりも官公庁や財閥系の建物が多く、当時の社会情勢や人々の生活が垣間見えて歴史を感じることが出来ました。

学生インターン:井口裕一郎(慶應義塾大学経済学部4年)