日時:2020年10月18日(日)9:30〜12:00
見学場所:《WITH HARAJUKU》(伊東豊雄・竹中工務店、2020)、《ルアール東郷》(隈研吾)、《ビラ・ビアンカ》(堀田英二、1964)、《ビラ・グロリア》(大谷幸夫/大谷研究室、1972)、《ビラ・セレーナ》(坂倉建築研究所、1971)、《ビラ・フレスカ》(坂倉建築研究所、1972)、《ビラ・ローザ》(堀田英二、1969)ほか
参加者:12名
ゲストナビゲーター:柏木裕幸
ナビゲーター:和田菜穂子
今回はヴィンテージマンションで知られるビラシリーズの一つ、《ビラ・ビアンカ》の内部をゲストナビゲーターの柏木さんのご厚意で、特別に見せていただきました。
まず集合場所は《WITH HARAJUKU》の前。ここがツアーの出発地です。《WITH HARAJUKU》は竹中工務店と伊東豊雄建築設計事務所が設計しました。木の装飾や緑化が施されており、風も通り抜ける気持ち良い空間です。人の往来が盛んな原宿駅側と住宅エリア側は全く雰囲気が異なります。低層側の屋上には「WITH HARAJUKU PARK」という緑豊かなテラスがあります。敷地外からこのテラスへと通ずる2つの入口(原宿駅側、竹下通り側)にはそれぞれ、神社の鳥居を思わせる木のゲートがあり、都会の喧騒と緑豊かなテラスを隔てる境界線のような役割をしているように感じました。
次に向かったのは《ルアール東郷》です。東郷神社の敷地内の建物で、結婚披露宴会場として使われているようです。隈研吾氏が外観を手掛けています。木を基調とした、斬新でありながら周囲の木々に馴染むデザインでした。
次はいよいよビラシリーズです。ビラシリーズは《ビラ・モデルナ》(今回は行きませんでした)を除くと、原宿駅の徒歩圏内に密集して建てられています。まず向かったのは《ビラ・ビアンカ》(堀田英二,1964)です。日本語で「白い館」を意味します。ビアシリーズの中で一番最初に建てられました。外観は雁行した形で、ガラス窓の存在感とむき出しの梁が印象的でした。奇数階と偶数階で間取りが異なっており、部屋の上にベランダ、そのまた上に部屋というように部屋とベランダが縦に交互になっています。一見すると《中銀カプセルタワービル》のように、箱型のヴォリュームが組み上げて作られたかのように感じました。内部は低い天井やレトロな天井照明、緑のタイル張りの洗面所などいい意味で昭和の時代を感じるところがありました。またこの建物に合わせて作られた壁一面の木製サッシや台所換気扇などデザイナーのこだわりも感じられました。室内のむき出しのコンクリート梁は、木目がうっすらと見えてこれも時代を感じました。
《ビア・セレーナ》(坂倉建築研究所,1971)と《ビア・フレスカ》(坂倉建築研究所,1972)は、坂倉準三が亡くなってからの作品になります。日本語で「静寂な館」と「フレッシュな館」を意味します。向かい合わせに立つ2つの建物は同じような特徴を持っていました。先の《ビラ・ビアンカ》に比べると単調な外観ですが、随所に設けられたコーナー窓、トラス構造の門扉、幾何学模様の床タイルなどの魅力がありました。特徴は建物の内側(中庭に接する面)の壁がアクセントとして黄色に塗られていることです。イメージとしては、ケーキを切り取ったら断面がすべて黄色だったような感じです。シンプルな外観に比して、内面の黄色の壁は衝撃的でした。
《ビア・グロリア》(大谷幸夫/大谷研究室,1972)は、日本語で「栄光の館」を意味します。印象的だったのは端から端まである長い窓、足元に設けられた換気用窓とその目隠し、建物のファサードの中心にある凹みです。上の2つと同じく、コーナー窓が多用されアクセントになっていました。一方、こちらの建物は中庭がないためか、凹み内の壁も外側と同じ塗装でした。
ビラシリーズの最後は《ビラ・ローザ》(堀田英二,1969)です。以前は「ローザ」の通りピンク色の外観だったそうですが、現在は白に塗られています。こちらも端から端まで続くガラス窓、コーナー窓が特徴的でアクセントとなっていました。
そのほか、大江宏設計の《鳩の森神社》や《国立能楽堂》を訪ね、《国立能楽堂》では建物内部に入り、資料展示室と中庭を拝見しました。
初めてこのような建築ツアーに参加しましたが、自分では見に行くことがなさそうな隠れた名建築をいくつも巡ることができました。また、普段は入れない建物内部にも入ることができたり、実際に街を歩くことによって、街と建物の2つの関係を感じることができたりと貴重な経験となりました。
学生インターン:齋藤嶺旺(慶應義塾大学理工学部1年)