【代々木上原駅周辺の住宅地散策】ナビゲーター:若原一貴
【上野は建築ミュージアム】ナビゲーター:倉方俊輔
【奇才の建築家:梵寿綱の建築ツアー】ナビゲーター:和田菜穂子
【銀座:考現学の考古学】ナビゲーター:岸佑
今和次郎が、銀ブラ、モダン・ガール、カフェーなど銀座の風俗を観察・記録し発表したのは1925年のことでした。銀座の時間は、江戸、明治、大正、昭和、平成、令和とミルフィーユのように積層しています。その痕跡は、どう変化して、どう残っているのか、現在の賑わいを感じながら、銀座に残る昭和初期の欠片や痕跡と、その後の変化を歩きながら探しました。
【晴海通りの建築物語】ナビゲーター:種田元晴
赤レンガ造りが目印の有楽町駅から築地まで続く「晴海通り」を舞台としたツアーを開催しました!通りには、銀座を象徴する華やかなブティックやシンボリックな建築が立ち並んでいますが、今回はそれらに加え、普段はあまり注目されない「隠れた名建築」を取り上げ、ナビゲーターの解説と資料と共に約20箇所を巡りました。外から見た方には、「一体何を観察しているのだろう?」と不思議に思われていたかもしれませんね。頻繁に変わりゆく銀座・晴海通りの街並みを、参加者の皆さんと一緒に再考する良い機会となりました。
特に印象的だったのは、《晴海通りのシンボルロード(GK設計/1989)》です。床のタイルの大きさや色、等間隔に配置された塔、道路と歩道の間にある塀など、ストリートファーニチャーが晴海通りの街並みに統一感を与えるようにデザインされています。グレーやシルバーを基調とした控えめなデザインでありながら、通り全体に洗練された雰囲気をもたらし、他のエリアとは異なる風格を感じさせます。
次に《銀座対鶴館ビル(内井昭蔵/1975)》について、資料で昔の姿を確認すると、赤レンガが積み重ねられた重厚なデザインが金融会社の堅実さを象徴しており、名建築といえます。しかし、当時の建築が銀座の街並みに完全に調和していたかは疑問が残ります。現在の建物は、一階に無理に埋め込まれたような形で「コーチ」の店舗が入っており、その看板が強く目を引きます。このため、建物全体が目立たなくなり、やや不恰好に見えてしまいます。銀座のように頻繁に店舗が入れ替わるエリアでは、容易に店舗を変更できる建物の構造の重要性が浮かび上がりました。
一方、近くにある《ボッテガ・ヴェネタ銀座フラッグシップ(GARDE/2018)》は、かつてディオールが入っていた建物の面影を完全に消し去り、ブランドのイメージに合わせたデザインに変貌しています。これは、別の店に転換しやすい建物構造の好例で、建物全体が一つのブランドイメージに「ラッピング」されているかのようです。
その他にも、レンガづくりの三角屋根が特徴の《数寄屋橋派出所(山下和正/1982)》では、屋根の天辺に装飾された「まち針」が、実は仮のデザインのまま使われていることや、《新有楽町ビルヂング(三菱地所/1967)》の角の丸まった冊子の設計は、当時の安価な職人の人件費を活かしたものである可能性があること、さらに、2025年にオープン予定の《旧ソニービル跡地(芦原義信/1966)》が、街に開かれた公園として使われる計画など、建築の背景をナビゲーターが解説してくれました。どの話題も興味深く、あっという間にツアー時間が終了してしまいました。
以上、街をじっくり観察することで、普段気づかない視点から晴海通りの新しい一面を発見できました。参加者の皆さんも、昔の銀座の街並みを思い出しながら現在と比較したり、個々の建物じっくり観察し、気づいた点を自由に発言し合うなど楽しんでいただけたようです。建物を新たな視点から見る機会となり、多くの気づきを得ることができました。普段何気なく歩いている街でも、少し視点を変えてみると新たな発見があるかも知れません。
学生インターン:石川愛実
慶應義塾大学 法律学部法律学科2年