日時:2019年6月15日(土)10:00-13:00
見学場所:日本橋、≪日本橋野村ビルディング≫(安井武雄/1930)、≪日本橋高島屋≫(高橋貞太郎/1933、増築:村野藤吾)、≪三井本館≫(トローブリッジ&リヴィングストン/1929)、≪日本橋三越本館≫(横河民輔/1914)
参加者:14名
ナビゲーター:倉方俊輔
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1929年6月15日、花崗岩に覆われた「古典主義建築」の三井本館が開館しました。それから90年。三井本館は2019年6月15日に開館記念日を迎えました。この記念すべき日に、三井本館90周年特設サイトを監修した倉方俊輔先生によって、三井本館がずっと変わらず佇んできた「日本橋」の歴史を建築目線で読み解くツアーが開催されました。
出発は地名の由来になった日本橋から。ここで倉方先生により語られたのは、石造りの日本橋のデザインと、その建設を取りまとめた建築家妻木頼黄の話でした。日本橋の親柱と中央柱にはそれぞれ獅子と麒麟の彫刻が施されていますが、それは外国を参照しながらも日本らしいデザインになっています。例えば街を守る象徴である獅子は盾の代わりに東京の市章を抱え、中央柱の麒麟はその背に羽を抱く東洋のデザインになっている等です。これらを指揮した建築家・妻木頼黄は旗本の家柄との事。頼黄を「よりなか」と読む為には五行思想において黄色は一番尊く中央に在るという知識が必要で、そういう江戸由来の地位を持っていた人物が、建築家として近代化を推し進めたという話が印象的でした。
日本橋の袂には≪日本橋野村ビルディング≫(安井武雄/1930)が佇んでいます。外壁を彩るのはアール・デコ様式の装飾で、頭部は川に沿って並ぶビルの連続性を意識してカーブしています。設計を担当した安井武雄は関西の建築家で主に戦前に活躍しましたが、同じく関西を拠点に活躍した建築家村野藤吾は戦前も戦後もずっと作品を発表し続けました。
そんな村野藤吾が増築を手掛けたのが、次に向かった≪日本橋高島屋≫です。元々の≪日本橋高島屋≫は高橋貞太郎の設計によって1933年に建設されましたが、その意匠を継承しつつも独自性を持たせた増築部分はオリジナルと増築の境界線が曖昧で、見る人の目を錯覚させます。他にも素材の取り合わせが絶妙な建物の縁の装飾やふとした所にアートを持ってくるユニークさは村野藤吾の特徴と言え、はっきりとしたルールを持つ丹下健三等の建築家と一線を画しています。
ここで、開館90周年のイベント真っ最中の三井本館に向かいました。建物の外観が街を造ってきた様を見学して写真家ホンマタカシ氏による特大パネルを鑑賞した後は、特別公開されている合名玄関へ。大理石で覆われた重厚な空間の中、開館当時の映像と現在の様子を収めたスライドを堪能しました。
最後は横河民輔設計の≪日本橋三越本館≫で様式が確定しにくい独特の空間を体感して、ツアーは終了。
この日は生憎の雨でしたが、その雨にも負けず参加者の皆様は熱心に倉方先生の豊富な解説を聴いていました。
倉方先生による三井本館の解説は特設サイト(https://mitsuimainbuilding.jp/ )にて公開されています。こちらも是非ご覧下さい。
レポート:阿久根 直子(サポートスタッフ)