日時:2018年4月30日(月)9:30~11:30
見学場所:長谷川馨《JR原宿駅》、丹下健三《代々木第一・第二体育館》、中村拓志《東急プラザ 表参道原宿》、安藤忠雄《表参道ヒルズ》、SANAA《Dior表参道》、MVRDV《GYRE》、黒川紀章《日本看護協会ビル》、青木淳《ルイ・ヴィトン 表参道店》、伊東豊雄《TOD’S 表参道ビル》、團紀彦《表参道Keyakiビル》
参加者:18名
ナビゲーター:倉方俊輔
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表参道には有名建築家が手がけた建築が勢ぞろいしています。今回はその中でも現代建築を概観することで、建築家たちが何を考えて表参道に建ててきたのか、建築をどう見たらよいかを解説するトークツアーでした。
ツアーの出発点は《JR原宿駅》。1924年竣工の英国風な木造の駅舎は現代建築ではありませんが、原宿・表参道という場所を語る上では重要な建築物です。小屋のような駅舎の姿はここがかつては東京の郊外であったことを物語っています。さらに戦後にはワシントンハイツ、明治神宮、そして東京オリンピックという歴史の積み重ねが原宿・表参道の場所性です。
日本のモダニズム建築を牽引したのが丹下健三です。シンプルな原理によって建築的解決を提示することを得意としました。1964年の東京オリンピックに向けて建設された《代々木第一・第二体育館》(1964)は、さらに伝統というものをいかに扱うかということが考えられています。モダニズムの美学としては、伝統を直接に表現する事を嫌い、いかに抽象的に解釈していくかが求められました。それに加えて日本では戦後の反省と、過去の形態の模倣に対する否定とがある時期までリンクしていました。日本のモダニズムが世界でも高い評価を得るのはこのようなある意味抑圧された状況の中で、しかし日本というものを建築でどのように表現するかという問題を考え抜かれている点があるのかもしれません。
表参道はケヤキ並木が特徴であり、日本では珍しい非常に西洋的なストリートです。そのケヤキを建物の屋上にまで持ち上げてしまったのが、《東急プラザ 表参道原宿》(2012)です。全体の構成としては商業ビルの定石を踏みつつも、表参道らしいデザインとなっています。丹下とは違い、中村拓志は一つの明確な原理でデザインするタイプではなく、作品ごとに適切な解答を与えていくような現代的な建築家です。
安藤忠雄の《表参道ヒルズ》(2006)が建つ場所にはもともと同潤会のアパートメントがありました。その敷地に森ビルが再開発を計画し、アパートメントに住む人々との間でもめていたところに安藤が呼ばれ、説得できたようです。安藤忠雄は出来上がる建築よりもむしろ人としての仕事の進め方や関係性を大切にすることなどに魅力があると思います。
世界的にも有名なSANAAが手がけた《Dior 表参道》(2003)はガラスの箱なのですがその内側のカーテンによって、全体的にモワッとした感覚になります。階高もバラバラですが、その根拠はよくわからない。どこが内部でどこから建築なのかわからなくなり、建築は不動の存在であるというモダニズム的な考えとは全く違います。うつろいやすい存在として見えますが、この表参道という並びの中ではかえって存在感が強く感じられます。
MVRDVはオランダの設計集団です。与条件を再構成し新しい社会性や建築を作り出そうとするオランダらしいプログラム建築です。《GYRE》(2007)は従来のフロアという概念ではなく渦を巻いたような形態によって、商業や文化機能が混ざりあい、建築の中に内部も外部もあるような形を提案しました。この基本設計は興味深いものでしたが、現実的な要件を受け止めた竹中工務店の実施設計によって、中庸さを獲得しています。
《日本看護協会ビル》(2004)は黒川紀章が好んだ円錐形のモチーフが目を引くガラスの建築です。黒川はメタボリストとして有名ですが、共生という思想も持っており、建築は一つの原理では説明しきれないものだと主張しています。外部と内部、東洋と西洋、自然と機械の融合などを考えていました。
《ルイ・ヴィトン 表参道店》(2002)は形のトランクを積んだような小さなスケールの集合体として一つの建築がたち現れることをコンセプトとしています。磯崎新のもとで働いていた青木淳は一つの原理から建築を設計しようとするモダニズムに通ずる考えを持っています。しかし、その一つの原理からどんどん分岐してゆき、見る人に様々なことを想像させるようなところが現代的です。なので、トランクを積んだ形からスタートしている形態も、小さな単位が積み重なることで生まれる空間性やファサードの面白さ、店舗である内部の動線などにまで派生しています。
《TOD’S 表参道ビル》(2004)はケヤキ並木のシルエットをファサードに展開するというわかりやすいデザインです。荷重の少ない上階は細く下に行くほど太い構造体になる合理的な形は、下階には大きな開口部が必要な店舗が入り上階はオフィスであるという機能にも合致しています。安藤忠雄と同世代の伊東豊雄。デビューもほぼ同じ時期で、1960年代は社会の均質化に対抗したような建築を生み出していました。伊東は年代によって作風が少しずつ変化しており、《TOD’S》は一品生産の建築としてどのような建築がつくれるかという考えに回帰した時期の作品です。
團紀彦は三井財閥の総帥であった曽祖父の團琢磨をはじめ立派な家柄の建築家です。《表参道Keyakiビル》(2013)は《TOD’S》のL字の敷地に囲まれたわずかな敷地に計画されました。その中で強い存在感を示す《TOD’S》との関係性をどうするかということも難しいところであったようです。結果として、同じコンクリートという材料を使いながらも、形を変えたり仕上げの雰囲気を変えたりすることで、良い対比関係が出来ていると思います。團は絶妙な距離感で設計しますが、それというのも普通の建築家とは少し違う家柄出身の落ち着いた態度というものが関係あるのかもしれないと倉方先生は推察していました。
表参道に並ぶ建築は商業的で建築の世界では、ともすると批判的に語られることが多いです。とはいえ、こんなにも有名建築家の作品が集まっている地域もなかなかないので、各々の建築家が何を考えて設計してきたのかを比較したり、モダニズムから現代までの建築がどのような変遷をたどってきたのかを実際に見て体験したりできる貴重な場所ではないでしょうか。
レポート:中村 竜太(学生インターン)
早稲田大学 創造理工学部 建築学科4年