日時:2017年4月26日(水)10:00〜13:00
見学場所:矢来能楽堂、日本出版会館、在日大韓基督教東京協会、シェア矢来町、la kagu、その他住宅
参加者:6名
ナビゲーター:若原一貴
神楽坂の表側だけでなく、路地裏を巡りながら新旧の歴史を知るツアーでした。
最初はツアーの目玉である「矢来能楽堂」。公益財団法人観世九皐会が所有する能舞台で、建物の内部に設置されています。もともとは明治44年に今の神田に建設されたのが最初ですが、関東大震災で焼失し、その後再建されるも空襲でまたもや焼失してしまい、現在のものは昭和27年に再建されたもので、国の登録有形文化財になっています。矢来能楽堂は客席に椅子を設けた最初の能楽堂です。従来、殿様などの身分の高い人が観覧する座敷席も併設しています。
歌舞伎はプラスの考え、能はマイナスの考えといわれています。能は室町時代に始まり、当時は旅芸人が移動しながら演じていたので、歌舞伎と違い大がかりな舞台セットがないのが特徴です。建物の内部に能楽堂が入ったのは明治以降ですが、それまでは神社の境内等にあったので、その名残で建物内部に入っても入母屋式の屋根が残り、能が発達した室町時代の禅宗様式が色濃く残っています。
舞台正面にある「鏡板」には必ず松が描かれています。舞台の角にある「目付柱」は能面をつけた演者が舞台から落下しないための目印。能面は演者に合わせて作られていないので、通常片目しか見えていないそうです。今も夜になると舞台からバキバキ音がすることも。亡くなった先代が舞っているとも言われていますが、木は今も生きているからです。
舞台に至る通路は「橋掛り」といいます。植えられている3本の松は幕に向かって小さくなっており、時空を表すために遠近法を用いているそうです。舞台のサイズはどこも同じでも、橋掛りの長さは場所によって異なり、例えば国立能楽堂はこの3倍の長さだとか。その他、お囃子の位置、「芝居」という言葉の由来など、観世流の方にご丁寧にご説明していただき、能舞台の見学を通じて、日本の文化・伝統を改めて知ることが出来ました。どうもありがとうございました!
今回の見学先はいわゆる著名な建築ではなく、説明がなければうっかり通り過ぎてしまうものも。。。それは建物が主張することなく、街の中にすんなり溶け込んでおり、街の一部になっているからです。このような路地裏ツアーを体験すると、今度はひとりでも自分流に街歩きを楽しめるのではないでしょうか。
レポート:和田菜穂子