TOUR

意匠の宝庫・上野〜浅草間の建築

2020.3.1
https://accesspoint.jp/reports/%e6%84%8f%e5%8c%a0%e3%81%ae%e5%ae%9d%e5%ba%ab%e3%83%bb%e4%b8%8a%e9%87%8e%e3%80%9c%e6%b5%85%e8%8d%89%e9%96%93%e3%81%ae%e5%bb%ba%e7%af%89/

日時:2020年3月1日(日)13:00~16:00

見学場所:JR上野駅(2代目:1932)、 看板建築、《下谷神社拝殿》(1928)、《寿量山妙経寺》(川島甲士/1959)、《萬年山祝言寺》(内井昭蔵/1986)、《東本願寺本堂》(1939)、《善照寺本堂》(白井晟一/1958)

参加者:10名

ナビゲーター:倉方俊輔

 

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1932年、関東大震災で焼失した初代駅舎に変わり、鉄筋コンクリート造の2代目上野駅が完成します。

現在に至るまで使用されているこの駅舎から、今回のツアーは始まりました。

まずは利用者がさほど多くない東側の正面玄関口について。この正面玄関口に近づくと、装飾が施された三連アーチや天井が目に入ります。戦前はヨーロッパにならい、こうした象徴的な玄関口とすることが重視されました。次に上野駅の外に出てペデストリアンデッキから駅舎全体を眺めてみると、華美な装飾は抑えられていることに気が付きます。これは装飾以上に、全体のバランスやプロポーションを整えることにより、ターミナルにふさわしい格式を整えようとした昭和初めの考え方が反映されていることが説明されました。

上野駅を後にした一行は庶民の街「下谷」を下谷神社に向かって歩いていきます。

道中目に入ってくるのは、たくさんの看板建築。中でも突出した出来栄えなのは医療関係の看板建築です。薬局や医院というのは当時、庶民が身近に触れるモダンな職業でした。そのモダンさを外観の意匠に表そうと工夫を凝らした大工や左官職人達、民間の仕事が看板建築に見て取れるというお話でした。

昭和初めらしい爽やかな意匠性を備えた下谷神社の拝殿(1928)を見学した後は、建築家・川島甲士が設計した《寿量山妙経寺》(1959)へ。

1960年代のモダニズム建築であるこのお寺は、構造体そのものをデザインとしていて、構造体と素材の力強さの両方が感じられます。本堂の正面にある、台東区有形文化財の梵鐘を吊るした鐘楼はカーブを描いた屋根と綺麗な杉板型枠のコンクリート柱が特徴的で、倉方先生によるとこの屋根の形状やシンボリックな雨樋の形からル・コルビュジェの影響が見受けられるというお話でした。

次に向かったのは、建築家・内井昭蔵設計の《萬年山祝言寺》(内井昭蔵/1986)です。こちらではタイル貼りRC造の楼門が特に印象的でした。他のお寺では堂々とした立派な楼門をあまり見かけませんが、祝言寺の楼門はその存在感の強さにより、境内に中庭的空間をつくっていることが語られました。他にも、鬼瓦の代わりに獅子瓦を持ってきたり、鐘楼の内部に納骨堂が設けられていたりと見応えたっぷりの寺院でした。

最後に向かったのは合羽橋にほど近い《東本願寺本堂》(1939)と建築家・白井晟一の初期作品《善照寺本堂》(1958)です。

築地には東本願寺と相対する伊東忠太設計で有名な西本願寺があります。対して、東本願寺は合羽橋の裏手にあり、庶民に距離が近い寺院であることがうかがえました。

白井晟一設計の《善照寺本堂》(1958)は後年の松濤美術館(1981)とはまた違うモダニズムっぽさが印象的です。正面左右の壁は構造体で、中央の窪み(穴)が入口になっているだけという限られた要素が中に吸い込まれるような印象を人々に受けさせます。シンプルだけどモニュメンタルな感覚を持てるデザインだというのが倉方先生の解説でした。

今回は上野駅から田原町駅まで、徒歩で言えば約20分の距離の中でたくさんの、かつ公営・民間・建築家・寺社仏閣それぞれのバラエティに富んだ意匠を堪能することができました。

新型コロナウイルス感染症への対応が世界中で始まっている現在。今回のツアー開催にあたっては、実施場所が多くの人で賑わず空気が流通する場所であること、限られた人数で行う物であることを事前に参加者の皆様にご了承頂いた上で、解説を行うナビゲーター・スタッフ共にマスクを着用するなどの体制で実施しました。新型コロナウイルス感染症の一日も早い収束を祈ります。

 

 

レポート:阿久根 直子

(サポートスタッフ)