日時:2018年3月3日(土)13:00~16:00
見学場所:《聖橋》、《湯島聖堂》、《東京復活大聖堂教会》、《山の上ホテル》、《カトリック神田教会》、《アテネフランセ》
参加者:6名
ナビゲーター:和田菜穂子
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今回のツアーでは「3つの聖」というキーワードを軸に、関東大震災の前後から御茶ノ水周辺で人々の営みを見守ってきた歴史ある建造物を辿りました。
まずは日本武道館の設計で知られる建築家・山田守氏によって1927年に建てられた《聖橋》を渡ってそこから見える光景を楽しみます。この《聖橋》は、その下にある御茶ノ水駅に3つの路線の電車が出入りする様子を見れる絶好のポイントなのです。橋を渡った後は和田先生によって解説が行われました。《聖橋》は関東一帯を襲った関東大震災の復興事業として建てられましたが、その名前は橋の両側に存在する《湯島聖堂》と《東京復活大聖堂教会》に由来するそうです。
続いて《聖橋》の由来になった《湯島聖堂》を見学しました。《湯島聖堂》は元々孔子を祀り学問を奨励する場所として1690年に将軍徳川綱吉によって建てられ、明治時代になってからは現在の筑波大学・お茶の水女子大学などが置かれて近代教育発祥の地となったそうですが、1923年の関東大震災で大打撃を受け、昭和に入ってから伊東忠太博士によって鉄筋コンクリート造で再建された建物という事でした。入母屋造りの大成殿の堂々たる風格や、屋根に鎮座するシャチホコ・聖獣の造形を見て楽しみ、門の前に置かれている水甕が万が一の災害の時の為であり馬に水を与える為の物である。という話に歴史を感じました。大成殿が江戸時代の物に倣った造りなのに対して、堂内にある斯文会館は伊東忠太博士の作風が表れていて、中でもユニークな棟飾りにはシルクロードを旅して様々な像を見た博士のオリジナリティがあり目を奪われました。
《湯島聖堂》を出た後は先程渡った《聖橋》を下から鑑賞しました。下から見上げる《聖橋》は川を跨ぐ対称形のアーチがとても美しく、また、道路に接してる部分は入口と出口でアーチの形状が異なる事に気が付かせられました。何気なく見てるだけでは気づかない事に目を向けられるのも東京建築アクセスポイントのツアーの醍醐味です。
続いて向かった、日本ハリストス正教会の《東京復活大聖堂》。こちらも《湯島聖堂》と同じく関東大震災で大打撃を受けました。和田先生が持参した昔の写真と比較すると現在の姿が震災前後で変わった様子が見て取れます。聖堂では、係の方が正教会のしきたりや礼拝方法、ビザンチン様式で知られるドームの音響効果、ステンドグラスの謂れなど、教会の事を多岐に渡り案内して下さいました。中でも特に印象的だったのは大司教ニコライ・カサートキンの依頼によってミハイル・シチュールポフ、ジョサイア・コンドル両氏の手で元の大聖堂が建てられ、関東大震災後は岡田信一郎氏が復興に尽力した。という大聖堂がこれまで歩んできた歴史の数々です。
大聖堂を出た後は明治大学のすぐ横手にある《山の上ホテル》に向かいました。山の上ホテルの旧館は1936年にウィリアム・メリル・ヴォーリズによって建てられたアール・デコ調の外観が美しいホテルです。古くから川端康成・三島由紀夫などの文豪や名家に愛され続けているホテルですが、中に入るとロビー壁の床近くに貼られている磁器室のタイルや階段頂上のステンドグラスに目を奪われました。
ツアーの最後は水道橋の方に脚を伸ばして《カトリック神田教会》を訪れました。《カトリック神田教会》は1928年にマックス・ヒンデルの設計によって建てられた、ロマネスク様式とルネッサンス様式の融合が美しい教会ですが、アーティストの手によって制作されたステンドグラスは他の教会では見られない特徴ある物でした。
その後《アテネ・フランセ》のカフェで参加者の方々と懇親会。ピンク色のファサードはインスタ映えするので、聖地になっているとのこと。フランス語を学ぶための語学学校として1962年に開講した施設で、設計者はル・コルビュジエの弟子である吉阪隆正です。一般の人もカフェでお茶をすることができるのはあまり知られていません。
今回のツアーで巡ったのはよく知られている建造物の数々でしたが、新たな気づきが沢山ありました。参加者の方からは「全部行った事あったけど、東京建築アクセスポイントのツアーはいつも気づきがあるから今回も参加した。参加して良かった」という嬉しいお言葉も頂け、皆で建築の面白さを発見していく有意義な時間となりました。
レポート:阿久根 直子(学生インターン)
桑沢デザイン研究所デザイン専攻科1年