TOUR

【AALTO】参加者による感想レポート−1

2019.9.08〜15
https://accesspoint.jp/reports/%e3%80%90aalto%e3%80%91%e5%8f%82%e5%8a%a0%e8%80%85%e3%81%ab%e3%82%88%e3%82%8b%e6%84%9f%e6%83%b3%e3%83%ac%e3%83%9d%e3%83%bc%e3%83%88/
和田菜穂子と巡るフィンランド・ロシア〜アアルト建築を訪ねる8日間
日程:2019年9月8日(日)〜15日(日)
主催:ユーラシア旅行社
参加者:14名+添乗員
ナビゲーター:和田菜穂子

ある秋晴れの週末、私は愛用のニコンに単焦点レンズを装着して葉山へ向かった。神奈川県立近代美術館で開催されている展覧会「アルヴァ・アアルト ~もうひとつの自然」を鑑賞するためだ。展示物を興味深く眺めた後、会場に設けられた「アアルト・ルーム」に足を踏み入れると、葉山の海を臨む高台の一室はアアルトの内部空間を再現する趣向となっていた。人々は思い思いにアアルト夫妻がデザインしたソファーや椅子でくつろいだり、大きく引き伸ばされたアアルトの写真の前で記念撮影を楽しんだりと穏やかな午後のひとときがそこにあった。私も「パイミオ・チェアー」に腰掛けてゆっくり伸びをし、「サヴォイ・ベース」の縁をそっとなぞってみた。そしてこの素晴らしい空間を心に留めたいとシャッターを切った。・・・あれから一年近くが過ぎ、私はいくつもの幸運に導かれて和田菜穂子先生のコーディネートするアアルト・ツアーに参加する機会を得た。本物の「アアルト・ルーム」へと誘われたのだ。実際に体感した内部空間を写真と共に紹介したい。

 

①アアルト自邸兼アトリエ(1936年)

アアルト自邸兼アトリエはヘルシンキ郊外の高級住宅街にあった。アアルト邸は門柱や塀で囲われておらず、表通りと玄関が近い関係にある。通りに面したファサードには窓がなく、中庭に向かって広く開口部を取っている。各部屋の広さ、天井高などのスケールは威圧的ではなく、親しみやすい、暮らしやすい室内空間と言える。アトリエは2階まで吹き抜けになっており、大きく取った南西の高窓からは設計作業を見守る柔らかな北欧の光が部屋に注がれていた。アアルトが使用した設計机の後方にある2面の窓からは、きっとアアルトも仕事の合間に眺めたであろう隣接する運動場を望むことができた。居間に廻れば南面に大きな窓を配し、中庭の緑の景観と連続するように、窓辺には観葉植物が置かれていた。アイノ夫人が弾いたグランドピアノや夫妻でデザインした照明器具、家具やテーブルたちは、今もこの気持ちの良い空間を演出している。

 

②アアルトのスタジオ(1955年)

①のアトリエが手狭となり、近隣に規模を拡大したスタジオを建てた。やはり中庭側に広く開口部を取る構成で、南側に面する勾配のある中庭は屋外映画館のような造りとなっており、弧を描く、階段状に配した平板石の客席と建物の白壁を利用したスクリーンが配置された。実際に、ここで映画を上映することもあったらしい。スタジオは印象的な南側の曲面壁に大きな連続窓を置き、豊かな光を取り入れ、室内の階段部天井には明り取りの天窓から間接光が補われていた。スタジオには、照明器具のサンプルや模型などが置かれかつてはショールームとしても使われていた。作業性の良さそうな設計室には、高窓から入射した光が斜め天井に反射して、間接光を机の上に届かせていた。会議室や食堂など部屋毎の機能性と細部に宿るディテールの美しさが何とも魅力的だ。

 

ここで、①アアルト自邸兼アトリエ(完成時アアルト38才)と②アアルトのスタジオ(同57才)には19年の時間を隔てているが、両者から受ける印象は大きく異なってはいない。それは、アアルト自身のための仕事場かつ住居という「自分にとって居心地の良い場所」であり、年は取っても人の本質はそれほど変わらないということであろう。

 

③ヴィープリの図書館(1934年)

ヴィープリの図書館は、ロシア港湾都市(建設当時はフィンランド領)の郊外の住宅街に、突如現れた純白のモダニズム建築だった。2010年から3年間をかけて、多くの人々の情熱を集まった全面改修を経て輝きを取り戻したばかりだからなおさらだ。平面図からは読み取りにくいが、公園内の緩やかな傾斜を取り入れて、巧みに構成された合計8フロアレベルから成り立っている。主図書室は57個の円形の天窓から間接光を展開し、この図書館の印象を特徴付けている。肌さわりのよい木製の手すり、曲線を使ったカウンター、一段下がったフロアの落ち着いた閲覧場所・・本好きな人にはこの上ない空間だ。この図書館には、入り口が3か所ある。主図書室へ通じる正面玄関と、この図書館が建設された当時、労働者たちにとって貴重な情報源であった新聞スタンド室への玄関と、公園で遊び疲れた子供たちを迎い入れる子供図書館の玄関だ。子供図書館の書架は、子供たちの手に届く高さに抑えられ、当初の玄関には手洗い場と水飲み場もあったらしい。いろいろな人が集う図書館として、それぞれの人が居心地よく過ごせるように寸分の妥協もなく設計されたことがよくわかる。ここで、正面玄関と講堂の間のスペースに、ひとつだけ天窓を穿ち、その下に2脚のチェアーを置いた何とも贅沢なスペースがあることに気が付いた。バウハウス式の「カチッとした」幾何学的外観とは裏腹に、波を打つ講堂の天井、勾配の緩やかな階段や丁寧に面取りしたいくつもディテールなどアアルトの遊び心とヒューマニズムを感じた。

 

④アアルト大学の図書館(1969年)

アアルトの内部空間の心地よさは、規模の大きい図書館でも存分に堪能できた。アアルト大学の図書館(1969年)は、古典的な円筒状の柱列を配したエントランスから図書室へ上がる階段は、なぜか並行する二通りのアプローチが用意されており、訪れた人はどちらかを選択して二階へ上がる。二階は学府の図書室にふさわしい大空間が広がり、天窓やハイサイドライトからの間接光が全体を覆いつつ、必要な箇所には直接目に光が入らないように深めのシェードのペンダントを吊り下げて補っていた。印象的だったのは、かつての事務カウンターのペンダントで、シェードの内側がゴールドとシルバーのコンビネーションになっており、二通りの光質を使い分ける演出だった。この空間でじっくりと学術文献を調査するのは楽しい作業であろう。

 

さて、③ヴィープリの図書館(完成時アアルト37才)と④アアルト大学の図書館(同71才)では、市民図書館と大学図書館という目的を異とすること、さらに設計された時代の違い(戦前の白いモダニズムの時代、戦後の赤レンガの時代とも呼ばれる)を反映する印象の違いを感じる。ヴィープリの図書館は、若きアアルトが10年ちょっと先を行くモダニズムの旗手コルビジェ、ミース、グロピウスから果敢にモダニズムを学んだ成果であろうし、アアルト大学の図書館は、建築界の重鎮となりつつあるアアルトが古典回帰を意識させる円柱を随所に取り入れ、大学の図書館に相応しい重力を与えたのではないか。ただ、両者に通奏するヒューマニズムは今も人々に愛されるアアルト建築の魅力と理解した。

 

最後に、生涯忘れられないアアルトの旅へ導いていただいた和田菜穂子先生、そしてこの旅で出会えた素敵な皆様に心より感謝申し上げます。

レポート:Kさん(男性)